平凡な一日

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 一人暮らしをしていると、おかしな訪問者が訪れることがある。ベルを鳴らされたからと言って迂闊にドアを開けないほうが良い。だが、相手が郵便屋なら不在通知を置いていかれても面倒だ。私は結局そうしてドアを開ける。開けるとそこには見知らぬおばさまが一人。いや、二人いる。

「こんにちは。今日はお友達が一緒に来てくれたので、聖書についてお話を聞いていただこうかと思いまして」

 その言葉を聞いた瞬間に、私の頭の中を様々な疑問が渦巻いた。貴方が友達と一緒に来たことが、聖書について話すという出来事にどう関係するのだろうか。聖書について語り合いたいのなら、その友達としていればすむことだろうに。私はそれを追及したくてたまらなかった。その友達は何だ、と。いなくて良いものならいなければ良いのだし、連れてきた理由があるのなら一文ずつ喋る人間を交換するくらいの心意気を見せたらどうだろう。実際に目の前でそんなことをされたら、多分笑ってしまうだろうが。だが心の中で思っていることの大半は口に出さない方が身のためになる言葉ばかりなのだ。

「いえ、もう出掛けるので」

 私はクールにそう言い返す。その通り、私には時間がないのだ。部屋の中で読みかけの小説達が私を呼んでいる。今日は積上げられた未読本をできるだけ処理することに決めているのだ。よって出掛けることなど考えてもいないが、私は聖書について語らずとも隣人愛に満ちている。貴方がたの貴重な時間を奪うつもりはないので大人しく帰りなさい、と言外に含ませてあげたのだ。ついでに言うなら――言わないけれど――私の貴重な時間を削るものではない、と。

「そうですか。ではおうちでも読めるパンフレットを……」

 私はそれも丁重にお断りした。ごみを増やすな、と自治体の皆さまも言っておられる。そしてそのパンフレットはすぐさま部屋のゴミ箱に放り投げる私のような者よりも、もっと必要としている人々に行き渡った方が良いのだ。ほら、これも深い隣人愛かもしれない。私はドアを閉じて鍵をかけ、部屋の中へ舞い戻った。挟んだ栞を取り外し、読みかけの本の呼びかけに応えるべくトランス状態に入る。
 それでも訪問者の鳴らすインターフォンの音を聞き逃すほど、本は私の聴覚を遮断してはくれない。時計を見るともう夕暮れ時。夕暮れ時の訪問者というのも、おかしな奴が多い。私は仕方なく立ち上がった。そしてチェーンを嵌めたままドアを開ける。

「はい、どちらさま」

 開けた瞬間に漂う冷気に、私は身震いした。先程おばさま方を迎えた時には、ぽかぽか小春日和だったのに、数時間経っただけでこんなに気温が下がるものだろうか。そんな私の疑問はすぐに解消された。

「こんにちは。今日はお友達が憑いてきてくれたので、人生について語ろうかと思いまして……」

 今度の訪問者は死神を連れていたのだ。この場合お友達が憑いてきたというよりも、お友達に憑かれてきたのだと言う方が正しい。私はドアの隙間から、顔色の冴えない中年男性の斜め後ろに陣取っている死神を見た。冷気は間違いなくその死神から発せられている。冷え性の私にとって冷気は大敵。何と迷惑な訪問者だろうか。

「折角ですが、私に貴方の人生について語るよりも、お友達と死後の人生計画について練られた方がよろしいと思いますよ」

 私はスマートに言い返す。するとぼんやりとしている男性の後ろで、暗幕を頭から被ったような真っ黒死神さんが手――らしきもの――を叩いて私の意見に賛成の意を示していた。死神の賛同を得られても、正直あまり嬉しくない。

「あぁ……そうでしょうか」

 えぇ、勿論、と私は笑顔で答えた。ついでにその迷惑な冷気の発生源をさっさと連れ帰ってくれ、と心の中で告げる。男は、ではそうします、と言って去っていった。なかなか素直でよろしい、と私はチェーンの隙間からその男性の後姿を見送りつつ思った。死後の人生計画は上手くいくといいですね、と心の中で呼びかけると、男性の後ろを歩いていた死神が振り返って――どちらが顔か分からないが多分――私に手を挙げて見せた。はっきりとしないが、どうやらピースサインをしているらしい。死神が平和のサインとは、また笑えない茶目っ気だ。


 一人暮らしとは関係なく、困った間違い電話というものも多くある。携帯電話のディスプレイに登録された名前が表示されない限り、私は電話をとらないが、携帯電話には留守番電話サービスという便利なものがある。そして普通の電話にも留守番電話機能はついていて、私はその機能しか使用していない。知り合いならばだいたい携帯電話にかけてくるように言ってあるので、普通の電話はもっぱら知らない人用なのだ。

 こちらの留守番電話は今まさにテープに吹き込まれている声が聞こえるので、本を読んでいる私の耳は、何の気なしにその音を拾っていた。どうせとらないので呼び出し音は極力小さくしてあるが、録音の音声は普通の音量だ。今夜かかって来たのは二十代から三十代の男性からだった。

「もしもし、俺だ。今、いないのか? ……この間のことは悪かったよ。反省している。だから……今夜電話をくれないか。何時まででも、待ってるから」

 目は本の字面を追いながら私は思った。いくら待たれても、私は君に謝られるようなことは何ひとつしていない。いや、できないではないか。私は君を知らないのだから。

 そして私は本を置いてしばらく考える。相手の携帯電話にかけないということは、番号を教えてもらっていない、教えてもらえない程度の長さの付き合いだということだろうか。こうして読書の合間に妙な邪推をしてみることも私の楽しみだ。生憎、切られてしまった電話に掛けなおして、番号を間違えていますよと指摘することはできない。そんなこと、相手もされたくないだろうと思うのだ。しかし電話の相手に成りすまして電話をかけるという想像も面白い。私はしばらく様々な可能性を頭に思い浮かべて、間違い電話の彼に電話をかける様子をシミュレートした。

 私がちょっとした楽しみで頬をほころばせている間に、もう一件留守番電話が入った。私の声とは似ても似つかない女性の声が発信音の後に、というお決まりの台詞をはき、そして醜い電子音が鳴った。録音テープが回って、コホン、という咳の後にメッセージが入れられる。

「もしもし、俺だよ。今どこにいる? 魂をもらう約束だっただろう。どこにいたって取りに行くからな。逃げても無駄……」

 妙なサラ金の取り立て屋のような台詞に、私は電話機に飛びつくようにしてメッセージ入力中の電話を取った。

「もしもし?」

 私が電話を取ると、相手の声が華やいだ。

「あぁ! 何だ、居留守を使うなんて悪い奴だな、お前」
「えぇ、多分良い奴ではないでしょうね。ところで、電話番号をお間違えのようですよ」

 生憎私は魂を誰かに受け渡す約束などしてない。いつもはとらないはずの留守番電話も、内容が内容だけにきちんと間違いを訂正していた方が身のためだ。

「え……? 嘘を吐くなよ」
「嘘ではありません。わざわざ魂をとるなんて恐ろしい電話を取って嘘を吐くほど無神経ではありませんので」

 これは本当のことだ。念のため。私が誰とにともなく断りを入れていると、電話口で相手は疑問符をなぞるような唸り声を上げて、そしてどうやったのか分かりたくもないが、受話器に寄せている私の耳を舐めた。確かに舐めたのだ。生暖かい息を感じて、私は身の毛が逆立ったついでにつま先立ちした。

「……お、確かに違う味だ。可笑しいな……お前の電話028−××○○−?!×□だろう?」

 味見をされたのか、とつい納得してしまった自分が恨めしい。

「いいえ、私の電話番号は029−××○○−?!×□ですよ。お間違えですね」

 私はエレガントに言い返す。すると相手は電話の向こう側で、手元のメモを確認するように小声で番号を確認する。そしてあっ、と息を呑んだ。

「おぉ! こりゃ、失礼! 間違えたお詫びに、願い事を三つ叶えてやるよ。何でも良いから言ってみろ」

 おっと、これは願ったり叶ったりの展開だ。小さな親切に対して多大な報酬。しかし望み過ぎれば痛い目をみると私は知っている。何しろ相手はお賽銭を受けつけない代わりに魂を要求するような輩なのだから。

「では、ひとつ目の願いは、貴方が私のひとつ目の願い以外叶えてくれないように願います」

 私の回りくどい言い方に、電話の相手は私の願い事を心の中で復唱した。丁度その程度の長さ間をあけて、そしてさらに電話の相手は間の抜けた声を上げた。

「むむっ? ……それではそれ以降願いを言っても無駄ではないか」

 その通りだ。願い事は自分で叶える、などとは言わない。ただ私は、現実には叶いそうにない願いが、本の中で私ではない誰かによって達成されることで自分も満足できるのだ。満腹とは言えず腹八分目の満足度でも、それが丁度良いのだと先人もおっしゃっておられるのだから。

「えぇ、そうですね。ですから貴方は私から三つの願いを聞きだすことはできません。これ以降、永遠に」

「屁理屈をこねおって……折角のチャンスを無駄にしたな」
「えぇ、お互いに」

 私がスピーディに言い返すと、電話の相手は鼻白んだように不機嫌な声を漏らした。

「まぁ、良い。予定の魂がいただければ問題ないのだ。では、間違いを指摘してもらって感謝する。さらばだ」

 さようなら。願わくば、二度と貴方とお話しすることがないように。しまった、それも願い事に含めておくのだったと気付いたけれど後の祭り。私は肩を竦めて受話器を置いた。あんな電話はそうそうかかってこないだろうから、むしろ一回でもスリリングな体験ができたことを喜ぶべきなのかもしれない。

 そして私は平凡な――ちょっとスリリングな――一日を終える。積まれた本は予定通りの冊数だけ処理され、私は上機嫌で風呂に入り、冷蔵庫のミネラルウォーターをがぶ飲みした。さてそれでは寝る前に一冊、と布団に入って本に手を伸ばしたその時に、小さな呼び出し音。続くお姉さまの言葉と、甲高い電子音。留守番電話が今日最後に受け付けたメッセージはこんなものだった。


「もしもし、俺だけど……。なぁ、やっぱり怒っているのか? 本当に反省してるから……電話だけでもくれよ、和也」


 ……さしもの私も、相手が男だった場合の対応はシミュレートしていなかったのだが。

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